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だから、本気だ。

日常生活の中で、社長になるための英才教育を受けていた。

私は子どもの頃からとても負けず嫌い。小学生のときのマラソン大会で、それまでずっと保持していた一位の座を奪われたことがありました。それが悔しくて、翌年のマラソン大会に向かい猛特訓を開始。マラソンの練習はもちろん、弟を背負ってうさぎ跳びで階段を上がったり…。おかげでこの努力はみごと報われ、再び一位の座に返り咲きました。(笑)
当時は父が北四国グラビア印刷を創業して間もない頃で、苦労している姿をいつも見ていました。そんななか周りから「おまえは長男だから会社を継ぐんだ」とすりこまれたり、また家の横が工場だったので、日常的にインクのにおいやフィルムに触れたり…。すでに社長になるための英才教育は始まっていました。

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「北四国グラビア印刷」に入社して社長である父にまず教えられたのは、人への気配り。

大学を卒業してから勉強を兼ねて、三年間の期間限定で印刷インキの製造会社に就職。小学生の頃、マラソン大会で2位になったときのように、ここでも自分に厳しい課題を与えました。それは【朝は会社に一番に行き、夜は全社員が帰るのを確認してから会社を出る】こと。負けず嫌いな性格が幸いしたのか、三年間を通して一度も自分との約束を破ることはありませんでした。

無事三年間の勤務を終えると、予定通り北四国グラビア印刷を営む父のもとへ。もともと両親が人への気配りを何より重んじていたことは知っていましたが、父から「お客様や取引銀行より、まず従業員と仕入れ先などの取引先に挨拶をしなさい」と言われました。この言葉は私のモットーになり、今でもよく想い出します。

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次代を見据えたさまざまなチャレンジを続けてきたからこそ、今がある。

私が入社した頃はすでに工場は古く、従業員はまじめに働くものの17時5分には仕事が残っていても帰っていく。この状況では将来はないと痛感し、新工場の建設に着手しました。当時、売り上げは約8億円だったのに、投資額は12億円。大胆な挑戦でしたが、不思議なことに不安は一切なく前だけを見ていました。そして新工場の完成と同時に、私は大きな自信も手に入れることもできました。
さらに数年後には製版工場を増設。このときは社内に設備や人材を備え、自社システムの上流工程を整えたいという強い想いがあり、これは現在の当社の強みである、自社一貫体制の実現に繋がっています。

これからも、いつまでもチャレンジを続けていく。みんなでみんなの夢を叶えられる会社であるために、まだまだ走り続けます。

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